死んだじいちゃんに買ってもらった自転車を盗まれた話

私はじいちゃんが大好きだった。

両親の結婚が早かったので、まわりの友達の祖父よりも若い祖父だった。
そしてまだ小学入学前後の私にバブルの名残をビシビシと感じさせるじいちゃんだった。
アップライトピアノをポンと買ってくれたり、何十色もある色鉛筆やキャンディキャンディの宝石箱など何かとよくプレゼントしてくれるバブリーなじいちゃんだった。

小学1年生の時に、学校から帰ると自転車やさんが薄いピンクの小学生らしい「シティサイクル(要はママチャリ)」を運んできた。
小学1年生にはちょっと大きいけれど、地面につま先がつかないことはない。
お子様自転車からは卒業だ。嬉しかった。
それも「自転車が欲しい!」と前から言っていた私に、じいちゃんが買ってくれた。

仕事の他に釣りやゴルフや飲み会で、忙しくてあまり家にじっとしていることのないじいちゃんだった。
家に居てくれると嬉しくてついて回った。

じいちゃんが急死した

そんなじいちゃんが、数年後急死した。
心臓発作だった。
当時の私小2か小3。父30代。祖父59歳。

習い事が終わって、家に迎えに来てと電話をした。
自分ちに電話したはずなのに、電話の向こうは親戚のおばさん。
「じいちゃんが亡くなったの。今から誰か迎えに行かせるから。」とだけ告げられる。

突然言われても意味不明。理解不能。

当時私の家には、ひいじいちゃん夫婦もじいちゃん夫婦も一緒に住んでいた。総勢9人家族。
当然子どもとしては、年齢的な順番からいくとひいじいちゃんが死んだんだと思って、ボロボロと泣きながら迎えを待っていた。

迎えにきた人も「じいちゃんが死んじゃったんだよ。」と説明する。
「うん、じいちゃん死んじゃったんだね。急すぎるよ、じいちゃん。」と頭の中ではひいじいちゃんだと思ってる私。

家について、お参りに来ているたくさんの人を掻き分け仏間に行く。

死んだはずのひいじいちゃんが椅子に座ってる。
悲しさと悔しさに顔を歪ませて、高齢のひいじいちゃんが椅子に座ってる。生きてる。

「え!?生きてる?生きてるよ、じいちゃん。え!幽霊じゃないよね?じゃあ誰が死んだの?まさか!?」

このとき私の頭はかなりパニック。
冷静な判断などできるわけない。

「白い布を被って寝ているのはじいちゃんか。」と理解するまで、きっと私は鳩が豆鉄砲くらった以上に目を丸くしていたと思う。
あの地獄のミサワのAAのように。
あえて画像は貼らないこととする。

ようやく気持ちも落ち着いたので、家の外に出て地面をいじっていた。
悲しみをぶつける先もないので「じいちゃん、ゲームボーイ買ってくれるって約束したのに嘘つき。なんで死んじゃったの?まだゲームボーイ買ってくれてないよ。生き返ってよ。」と水たまりをいじりながらブツブツ呟いていたことを覚えている。
大人になった自分がそんな子みたら「痛い子」だなと思うこと間違いない。
けれどもその時はそれしか気持ちの対処法が思いつかなかったんだと思う。

そこからはやれ通夜だ告別式だと慌ただしく時が過ぎて行った。

大嫌いなおじさん

じいちゃんの葬儀で性格悪い親戚のおっさん(死んだじいちゃんの甥っ子にあたる。当時20代?)からまったくもって理不尽な理由で怒られたことを今でも覚えている。
そして今でもムカついている。
だから30過ぎた今でもそいつは嫌いだ。
そいつの父親も幼少の頃たいそう苦労をしたようだが、私のひいじいちゃんの土地を勝手に名義変更して金に換えた。
まあ言うなれば詐欺だ。
親戚だからと大事にしなかった。
それなのに何も悪びれていないし、いつも偉そうなので嫌いだ。
あんな人たちが親戚だとは思われたくない。おばさんは嫌いじゃないけど。

なんで怒られたのか経緯は以下のとおり。興味が無ければすっ飛ばしてほしい。
「親族控室」から出て、階段のあたりで親戚の子どもたちやらが騒ぐから様子を見ていた。
「あまりうるさいようなら注意しないといけない」とその子ども連中では年長者だった私が無駄な責任感を抱き、監督していた。
そうしたら「本家の孫のお前が騒いでどうするんだ。」と一方的に怒られた。
まったくもって意味不明である。
まあよくある理不尽な怒られ方だと思う。
しかし私が許せないのは普段なんの絡みもない親戚のおっさん(本家の集まりで、うちに来たって遊んでくれるような奴じゃない。みんなを見下したように話すムカつくやつ。)が、その時ばかりは「本家」の重要な親戚面してきたこと。
そして、まだ小学生低学年くらいの子どもに対して自分の理不尽な考えを押し付け誇示してきたことに猛烈に腹が立った。

私の住んでいたところは人口2万くらいの超絶ド田舎。たとえるなら「北の国から」をもう少し都会にした感じ。
そんなところだから当時は「本家」とか「分家」とか「しきたり」とかうるさかった。
それにしたって、上記の親戚のおっさんからの理不尽な叱りは、30歳をとうに過ぎた今でも許せずにいる。
いや、もともと嫌いだったから余計に忘れないのかもしれない。

話を元に戻そう。
無事、参列者700名上の地元ではそこそこ大規模な葬儀も済んだ。

自転車を盗まれた

そして数年後。
小学6年生だったか、中学生だったか忘れたが事件が起きた。
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あの薄いピンクの「シティサイクル」が盗まれた。
停めた場所の記憶違いかと思い、駐輪場をくまなく探した。
見つからない。
自転車を探して、何度も駐輪場をぐるぐると回った。
それでも見つからない。
自転車の鍵をかけ忘れたかと思ったけど、カギはちゃんと手の中にある。

その時の光景はいまだ脳裏に焼き付いている。
絶望したモノクロームな風景。

じいちゃんがプレゼントしてくれた大切な自転車だった。
思い出ごと持っていかれたような気分で、本当に絶望しかなかった。

その後も何度もその場所に行き自転車を探した。
「少し壊れててもいい。戻ってきてほしい」と思ったから。
小さな町だからどこかにないかと思って、駐輪場を見つけると時々「もしかしたら自分の自転車があるかもしれない」と確認してみたりもした。

でも二度と私のもとに戻ってくることはなかった。
思い出ごと持っていかれた自転車は、苦い思い出を残して無くなった。

何も思い出の詰まった大切な自転車を盗まなくても、ほかにもボロボロな自転車や6段切り替えのついた自転車や高価そうな自転車もたくさんあった。
よりによってただのママチャリを盗む必要はなかったろうに。
ただのブリジストンのママチャリだ。

盗む方はその自転車にある背景なんて何も気にしない。
自転車が必要だけれど、今目の前に自分の自転車が無いから盗む。
ちょうど目の前にただ盗みやすそうな自転車があるから盗む。
それだけである。
アメーバ以下の単細胞で最低だと思う。

たかが自転車。
だけれどそれに詰まっている思い出もたくさんあるのだ。

盗まれた人にとっては、お金で買えないとても大切な思い出の詰まった自転車かもしれない。

自転車を盗む心無い人にも、ひとつやふたつは思い出の詰まった何かがあるはずなのに、盗むときにはそんなこと思い出すことさえない。
そんなやつ知的発達をとげた人間じゃない、ただの猿だと思う。

この話を思い出したのも何年振りかわからないし、もう20年以上前の話。
だけれど思い出すとついこの前起こった出来事のようにも感じる。
きっと当時のショックは計り知れないものだったんだと思う。

これから何十年経っても、ときどき思い出すと思う。

今、自転車を盗んでいる人たちへ

今これを読んでいて、盗んだ自転車を手元に置いている人がいるなら聞いてほしいです。
速やかに元あった場所にそーっと戻してほしいです。
私のように盗まれた自転車の帰りを待ちわびている人がいるかもしれない。
思い出がたくさん詰まった自転車かもしれない。
まだ手元に盗んだ自転車があるなら、元の場所にそっと返してください。

その自転車が本来の持ち主に大切に使われる日が来ますように。
どうかおばさんの小さな声が自転車を盗んでいる人に届きますように。
自転車盗むような人が他人のブログなんて読むわけないから届くわけないか。

以上、死んだじいちゃんに買ってもらった自転車を盗まれた話でした。

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